教員や指導者に求められる資質
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 さて、いよいよ人間関係学科に関する最後の項目となります。ここでは、これまで述べてきた人間関係学科のなかみで、子どもたちへの支援を可能にする教員や指導者の資質ということにふれたいと思います。実は、前項の「教員や指導者に求められる力」のところで、だいたい書きましたので、まとめとして、その教員や指導者の力とは、どういう人間の資質から導かれるのかということからアプローチしていきます。

 ・開かれた人間であるということ
 「マネージャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。」(『エッセンシャル版 マネジメント 基本と原則』P.F.ドラッカー ダイアモンド社 P130)これは、マネジメントの神様と呼ばれているドラッカーの言葉です。この言葉は、2010年に200万部以上のベストセラーとなった『もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著 ダイアモンド社)の冒頭の章で紹介されて多くの人が知ることになりました。実は、この言葉に、一つ目のキーワードが含まれています。ドラッカーは言います。マネジメントを実行することができる人の資質とは「真摯さ」であると。「真摯さ」とは、いったい何なのでしょう。「素直さ」「正直さ」「まじめさ」「熱心さ」等々、様々な説明の言葉をはめることができますが、本質的には人間のあり様をあらわしているのではないでしょうか。それが「開かれた人間である」というあり様なのです。開かれた人間というのは、「認知」→「行動」→「評価」という成長のプロセスを実行している人であり、自分自身の人間としての枠組みを、他者からのフィードバックを通じて、拡げていこうとしている人のことです。さらに言うと、固定観念や思い込みや被害者意識などのマイナスの要因により、成長のプロセスがストップし、他者(特に自分とは異質な人たち)を受け入れることができない人の対極にあるあり様です。ですから、開かれた人間とは、真摯に、そしてひたむきに、自分の成長のプロセスの道を歩みながら、他者の存在を受け入れることにより、さらにそれを自分の力へと還元してふくらんでいく姿なのです。「子どもの気づきに気づく」の項目でふれさせてもらったように、ねらいに縛られない柔らかい発想と、自分の枠組みの外に投げられた「ボールになるボール」をも受け取ろうとする姿を備えた人なのです。そんな人なら、一度はそんなボールを受け損ねたとしても、次かその次には受けとめる事ができる力を備えていることでしょう。一方、「閉じられた人間」とは、一つの発想や概念にとらわれ、自分のストライクゾーンでしか投げられたボールを受けとめることはできません。そして、はずれてしまったボールを投げた人を攻撃するか、外に投げられたボールの存在を自分の概念の中で、無視したり抹殺したりしてしまうのです。この両者の違いは、感じる以上に拡大していきます。それは、あたりまえです。10年かかっても成長しない人と、10年かけて成長してきた人との差は、時間が経ていくごとに開いていくのですから。
 このように、示唆的な言葉をいただいたドラッカーですが、実は、ドラッカーも考え違いをしている部分があるようです。それは、「真摯さ」というあり様を「後天的には獲得することのできない資質」と規定しているところです。「認知」→「行動」→「評価」の成長のプロセスに乗り、しっかりと自己を認知することさえできれば、誰もが「真摯さ」を得ることができるのです。基本的に年齢は関係ありません。ただ、まわりの人たちのモデル性により、その状況は異なってきます。まわりにいる人たちが「閉じられた人」ばかりであれば、超高確率で、その人は「閉じられた人」になってしまいます。しかし、まわりに「開かれた人」が一人でもいるなら、その人は「開かれた人」になれる可能性があります。「開かれた人」へのモデル性とは、別に直に接していなくても大丈夫です。ただ、そのモデル性は薄まりますが、書籍を通じてであったり、映画を通じてであったりという出会いでも可能なのです。まあ、しかし、身の回りに「開かれた人」がいることがベストです。そして、いったん「開かれた人」になることができれば、努力を怠らない限り「閉じられた人」に転落してしまうことはありません。ここに、教員や指導者が「開かれた人」であるべき意義があります。人間は絶対的な依存状態から、主体的なあり様へと成長していく可能性を誰もが備えているのです。それは、人間にしか与えられなかった、大脳新皮質というものがなせる技なのです。ほんとうの人間らしさとは、「開かれた人間」になることから追求していくことができるのです。

 ・アサーティブなあり様であるということ
 そして、人間の成長というものは、次の段階へ進んでいきます。開かれた人間である人は、人間の多様性というものを認め、受け容れることができます。そして、その多様性を受け容れることで、自分自身の人間としての枠組みを拡げていきます。つまり、心の大きな人間になることができるということです。心が大きく成長した人は、そうでない人を許すことができます。攻撃的なあり様の人が、アサーティブなあり様の人に何らかの攻撃的な行為をとったとしても、アサーティブなあり様の人は瞬時に反応することはありません。いったん、自分の中に納め、心のスペースをしっかりとつくり、様々な技法を駆使しながら直接的に、あるいは間接的にフィードバックとして還していきます。相手の目をしっかりと見つめて、時には優しい言葉で還していきます。実は、この時点で、攻撃的な行為に至った相手を許していることになるのです。そして、許された相手には、多くのケースで気づきが起こります。その気づきとは、攻撃的なあり様を示してしまったことへの自分自身のフィードバックなのです。俗に言えば「反省」ということになるのかもしれません。実は、こういうアサーティブなあり様が、森田洋司氏が提唱した「いじめの4層構造」における「仲裁者」の姿なのです。これは、受身的なあり様を示す人に対しても同じことです。アサーティブな人は、人間どうしの関係で、力関係の不均衡による力に立脚した攻撃性をあらわすことはありません。つまり、人間の関係を「強い」「弱い」で見ないということなのです。弱い相手だから、不躾な、あるいはぞんざいな、あるいは、いんぎん無礼な態度を取ることはありません。むしろ、そういう相手にこそ、繊細な配慮を施して慎重に接していくものなのです。アサーティブであるということは、相手のことを想像できるがゆえに、共感する心をもつことができるのです。そして、共感できるからこそ、対等平等の関係性をつくっていこうとします。そのためには、相手と折り合いをつけることが必要ですし、そのために主張をしなければならないのです。
 教員や指導者は、子どもとの関係以上に、教員どうし、指導者どうしの関係性に、このアサーティブネスなあり様を発揮できなければいけません。それは、教員どうし、指導者どうしであるからこそ、折り合いをつけ、好ましい関係性を構築するべきなのです。それは、教員や指導者が、子どもにとって、ほんとうに身近な大人としてのモデルであるからです。

 ・相乗効果を発揮できるということ
 人間の社会というものは、様々な矛盾を抱えながらも、幸せな生き方ができる社会へ向かって進んでいます。これは、人間の歴史をふり返れば明白な事実です。二歩前進、一歩後退、三歩前進、二歩後退、その結果二歩進みました、というような感じです。これは、人間にしかできない力がそこに備わっているからです。人間は協力し、力を合わせ、数多くの創造物を残してきました。そして、その多くが人間の幸せな生活を実現するためのものであると言えます。
 アサーティブなあり様の人は、ものごとに対して、決して一人でやってしまおうとは考えないものです。ものごとの初期の段階では、孤独であったり、自分一人で取り組まなければならないこともあります。しかし、アサーティブな人のまわりには、必ず人が集まってきます。それは、アサーティブな人は自分の長所と短所がよくわかっているので、自分ができない部分については、まわりの人に助けを求めたり、協力を求めたりすることができます。あるいは、みんなの課題であることをちゃんと主張し、まわりの自主性を引き出すこともできるのです。そして、そんなアサーティブなあり様の人たちが出会うことで、一つのプロジェクトに対して、ともに取り組むことができるようになります。そこに、相乗効果というものが生まれてきます。この相乗効果というものの力には計り知れないほどの効果があるのです。そして、そのプロジェクトをやりきることにより、達成感や自己効力感などがフィードバックとして還ってきます。このようなプラス指向の前向きな関係というものが、所属する集団の質というものを高めていくのです。これは、教員や指導者の集団でも同じですし、子どもの集団でも同じことが言えます。まず、教員や指導者の集団がモデルとなり、子どもの集団へのモデル性を発揮していくということなのです。これが現代的な「集団づくり」であると言えるでしょう。集団の理想というものが先にあり、そこに個人をあてはめていくという手法というものは、アサーティブネスの思想に反することですし、そんなことは人間の成長にとってどれだけマイナスになるかわかりません。あくまでも、一人ひとりが成長することによる集団形成が、実は集団の力であるという考え方こそが、アサーティブネスの思想に基づいたものなのです。
 つまり、人間関係づくりの授業=人間関係学科に取り組もうとしている方々は、開かれた人間をめざし、アサーティブなあり様を追求することで相乗効果を発揮しようとしている人をめざしていくべきなのです。
 ・開かれた人間であるということ
 ・アサーティブなあり様であるということ
 ・相乗効果を発揮できるということ