教員や指導者に求められる力    

 
・子どもたちをホールドする力
 
・子どもたちどうしの関係性やルールをつくる力
 ・子どもたちに気づきを引き起こす力
 ・子どもたちの気づきに気づく力
 ・子どもたちへ介入(支援)する力
 ・子どもたちの中で起こったことをとりあげる力
 ・授業でビルドアップされた気づきを大切にする力
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2)子どもどうしの関係性とルールをつくる
 子どもたち自身がスムーズに心を開いていくために、授業の冒頭における子どもと教員や子どもどうしの関係づくりやウォーミングアップ(アイスブレーキング)を大切にします。さらに、安心して心を開くためには、子どもたちどうしの中に、お互いが受け止めあえる関係にあり、安心して自分自身を出せるルールの存在が必要となるのです。

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 1)の項目にて「子どもをホールドする」という概念について述べましたが、この「子どもどうしの関係性とルールをつくる」という項目は、1)の項目の次にくる重要な項目になります。人間関係学科のような人間関係づくりの授業というものは、人間関係学科も含めた教育課程の中にある授業というもののラインナップで見ると「特別なもの」であり、「一般的なもの」でもあるのです。それは、どういうことかと言いますと、人間関係学科は、他の教科と比べると根本的に人間のあり様を問題にしているという意味で、すべての教科の根幹にあたる部分を扱うことになります。例えば、教科授業の最中に、先生の授業内容が理解できていないときに、状況が許されれば、子どもたちは質問をします。この質問をするということはコミュニケーション力のひとつの現れであるわけです。質問をするということは、自分の理解を認知し、疑問に思うという段階を経て、教員が理解できるように自分の疑問点を的確に述べなければなりません。さらに、質問だけでなく、わからない時に「つぶやく」という行為も重要になってきます。「つぶやき」は理解したり疑問に感じたりすることに関わりなく、子ども自身の気づきが声となって出たものです。ですから、子どもは自分の「つぶやき」に対して、教員のフィードバックを求めていません。しかし、我々教員にとって子どもの「つぶやき」は、授業を深めていく上で大いに助かります。質問や「つぶやき」というものは、子どもたちの教科授業にとって欠かすことのできないアイテムであり、授業参加へのスキルなのです。このような力を集中的に養っていくという意味で、人間関係学科は「特別なもの」でありますし、教員や子どもたちが心を開いて参加し心地よい気分にひたれるという意味でも「特別なもの」だと言えます。
 一方、人間関係学科がいかに「特別なもの」であったとしても、日常の日課の中に組み込まれた授業であるという側面も持っています。つまり、学級の雰囲気や、子どもどうしの関係性、あるいは子どもと教員の関係性をそのまま反映している「一般的な」授業でもあるのです。例えば、ほとんどの授業において、子どもたちは集中できずに、私語などの多い学級であったとします。そのような学級においては、人間関係学科の授業においても、子どもたちは集中できずに、私語などの多い姿というものを表すことでしょう。休み時間に子どもどうしのトラブルがあったとします。すると、人間関係学科の授業の冒頭において、険しい顔をしたまま参加している子どももいるかもしれないですし、授業の最中にケンカをはじめる子どもも出てくるかもしれません。
 このように、人間関係学科の授業は、現実から離れた仮想空間であるとともに、現実の問題を反映した現実空間でもあるのです。ここに、「子どもどうしの関係性とルールをつくる」必要性が出てくるのです。この「つくる」の意味ですが、初めからつくりあげるというより、再構築するという表現のほうが合っているかもしれません。
 そこで必要になってくることが、「場づくり」ということになります。授業の内容にもよるのですが、子どもたちの日常生活をそのまま持ち込むのではなく、子どもたちが日常生活からエッセンスを引き出せるように、「場」をつくっていくのです。つまり、授業の初めに行うウォーミングアップやアイスブレーキングなどは、日常生活と人間関係学科をきっちりと分別し、人間関係学科の世界へと導いていくために、非常に重要な入り口になってくるのです。それと同時に、子どもどうしの関係と子どもと教員の関係をも、人間関係学科にフィットするようなものへと変換していくのです。人間関係学科にフィットするものとは、安心して自己開示ができる雰囲気への変換です。心地よい自己開示ができるための枠組みとルールづくりです。そのために教員は、テンションを上げて臨むこともあるでしょうし、ロールプレイングの役柄になりきり、大胆かつ繊細に演じることも必要でしょう。そして、それに必要な衣装やグッズを準備しなければならないこともあります。簡単に言うと、子どもたちを人間関係学科の世界に引きずり込んでしまうために、子どもどうしの関係性とルールを再構築するのです。

 よく言われることの中のひとつに「荒れている学校や、学級で実施することができるのでしょうか。」というものがあります。この答えは、「場合によってはできますが、場合によっては非常に危険なものとなるでしょう。」ということです。つまり、子どもたちを人間関係学科の世界に引きずり込むことができれば可能ですが、そうでなければ不可能ということなのです。一般的には「荒れた」学校や学級では力による人間関係が支配しているケースが多いわけです。人間関係学科の基本は、最低限、一人ひとりの関係性がイーブンであるということが要求されます。そうでなければ、子どもたちは授業の中で、自己開示に対する攻撃により心的外傷を受けるケースが頻発しますし、そういう攻撃を恐れてあえて自己に閉じこもるという選択をしてしまうからです。しかし、仮に「荒れている学校」であっても、教員が一致し、学校として取り組むことができれば、実施は可能です。もし、教員の個人的な取組で終わってしまえば、授業の系統性や継続性を持続させることは不可能です。三年計画くらいで、実践を積み重ねながら、プログラムや教材に検討を加えながら修正していくことで、より、その学校や学年にあったものになっていきます。一年目は、しんどい思いをするかもしれませんが、人間関係学科を実施する観点で、子どもや教員の関わりを再構築していくことで、二年目、三年目と目に見えて成果があらわれてくるのではないでしょうか。すなわち、人間関係学科の実施を通じて、学校におけるすべての人間関係を再構築することで、徐々にではありますが、「荒れ」が収まってくるのです。
 それはなぜでしょうか。相手を攻撃したり、過度に受身になってしまう人間のあり様とは、人間の心が満たされていなかったり、成長していないから現れてくるあり様だからです.。この攻撃的であったり受身的であったりという依存的なあり様というものを、人間関係学科の実施を通じて、心のなかみが備わった主体的なあり様へと成長させていくのです。自分を自己開示できる安心した人間関係と、まわりの子どもたちや教員から還ってくるフィードバックにより、心が少しずつ成長していくのです。この第一歩が、「子どもどうしの関係性とルールをつくる」ということであると言えます。

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